猫の話。

月明かり降る夜半過ぎ。へたくそな、歌ともつかぬ文句を諳んじながら家路へと向かっていると、急ぎ足で目の前を走り抜けようとする三毛猫がいたのでなんともなしに呼び止めた。「待ちたまえ、向こうは道が無いぞ。何処かに行くのなら引き返して他の道を探してみなさい。」すると三毛猫は微笑を顔に浮かべて言った。「道が無いのなら何故向こうの道が伸びているのですか。道は何処かに必ず繋がっていて、ぼくの行き先はこの道の向こうなのです。」私はなるほど、そうかと感心したように頷いた。しかし私はこの先に道が無いのを知っている。ならば彼はどこに行くのだろうかと気になり彼の行き先をみてみようと後ろを付いて行く事にした。三毛猫は私を気にする風でもなく、一度振り向いて私の顔をみはしたものの後はそのまま半刻ほど悠然と歩き続けた。しかし、やはり道は行き止まりにたどりついた。ここは行き止まりで何処にも繋がっていない。「やはり道はないじゃないか。ここはただの行き止まりでなにも無い。君は本当にここに来たかったのかい。」三毛猫は言った。「そうです。じつのところ、ぼくには本当は先に何があるかなんて判っていなかったのです。でもぼくの行き先はやはりここでした。あなたと出会い一緒にあるきはじめた時にぼくの行き先は決まっていたのです。」私はよく判らず三毛猫の言葉をただ聞いていた。「ぼくは猫なのに喋ることが出来ます。それは人にあこがれていたからです。人になりたいと、人の世を塀の上から、軒の下から、膝の上から、人にとっての暗闇の中からずっと見ていました。百年もそうしているといつのまにか喋れるようになっていました。」私は驚いた風に、いや実際驚いたが、そういう風で「君は百年もいきているのか。だとすると私よりだいぶおじいさんだな。」といってみせた。そういえばこの猫は何故か喋っている、と私は言葉にしてようやく気付いたのだった。そんな私には構わず、三毛猫は疲れたように横たわり、半身を上げ、毛繕いをしながら言った。「しかしぼくの百年は猫としての百年でした。ぼくにとっては百年はまだたっていません。ぼくはまだ生まれてすらいないのです。」そして矢継ぎ早に言った。「しかし、猫としてのぼくはもう終わりなのです。結局ぼくは猫だったのです。人になりたいと想い続け、気が付けば百年経っていました。百年経ったと気が付いたときぼくの猫としての命は終わる事になったのです。」私は突然彼がここに来た理由が判った気がして神妙な顔をし、尋ねた。「もしかして君は死に場所を探していたのか。そしてここで私という人とはなし、最後の望みとして人間と生まれる事を願ったのかい。」三毛猫は嬉しそうな顔をしながら言った。「いえ、そう思われるとぼくは嬉しいですが、違います。そう言ってくれる人に出会うことを望んでいたのかもしれませんが、そうではありません。ぼくの命がここで尽きる事は仕方の無いこととおもいますし、この過ぎた百年以上の事は望んではいません。人は猫が百年生きると化け猫になるといいますが、それは違うのです。百年生きた猫は猫ではなく既に化け猫です。時を忘れただ願いを求めて生き続けた結果が百年なのです。たいていの化け猫はその欲しいもののためという生き方から人間にきらわれ、そのために人を凌いで生きてどんどん化け猫になっていきます。しかしぼくは人になりたいという願いのせいか、あるいは人になれない猫という生き物のせいか、いつまでたっても人になりたい猫のままでした。」続けて三毛猫は言った。「しかしぼくが不幸だったかというと、そんな事はないです。人にはなれませんでしたが、ぼくは人間の家族になりました。そのあいだはぼくは、人になったようで凄くしあわせでした。人というのは本当におもしろくて、ぼくのような猫やまぬけな犬とも家族になることができるのです。猫のぼくが人のあなたにこんなことをいうのもおかしいですけど。」三毛猫が初めて言った冗談は心地よかった。だが私は聞かねばならなかった。「では君は一体何を望んでいるのかな。思うに君はもう既に人間になっている。人の間にはいり生きただけでも人間といえるし、私とこうして話しているだけでも、それはもう猫ではない、人間だ。まあ化け猫という呼び名があるのはこの際忘れるとしてだが、そもそも君自身が満足しているようにみえるところ、この今生の際に偶然私と出会い話す事に何の意味があるというのだね。まさか本当の化け猫になって私という人の皮を被り、もう百年千年万年生きるという訳でもあるまいし。」私は何気に怖い考えを口にしているなと思ったが、彼はそのような事を望まないと判っていたのであえて言った。三毛猫は初めてにゃあっと猫の鳴き声をあげた。それは笑ってるようだった。「もちろん、ぼくはあなたの皮を被ろうなんて思いません。それは人になるという事ではないし、むしろ人をやめるということです。あなたがぼくを人間とよんでくれる事はかぎりなくうれしいことで、そのよろこびを裏切り消し去るくらいならこのよろこびを胸のうちに秘めたまま鼠にこの身をくわせてやります。」三毛猫は毛繕いを止め、すくっと立ち上がり言った。「ぼくは百年生きた猫です。その間に人間の家族も出来ました。しかしぼくは、その家族とはなしたことは一度もありません。それは化け猫と恐れられる事を恐れた訳ではなく、はなす必要がなかったのです。ぼくは猫のままで家族だったから。」私は頷いた。「しかしその家族ももう居ません。願いにより死ぬ事を忘れたぼくは、そこにいたいという願いが人より強かったから、そこにいるのが当たり前だったぼくの家族よりずっと長く生きてしまったのです。長く生きたぼくは、最初のおとうさんの、こどものこどもがおとうさんになり、そしておじいさんになり、亡くなるまでずっと家族でした。しかしぼくは気付いてしまったのです。百年たったこの時に。」三毛猫はいう。「しかし、ああぼくはやはり化け猫なのかもしれません。それでも人になりたかったという化け猫。人間になっていたのか、それとも最後の最後に猫に、化け猫になってしまったのか。ぼくは家を出てずっとかんがえていました。考えて考えていたところにあなたが歌いながらやって来たのです。」私は三毛猫の本当の願いがうっすらと判ってきたものの、あえて聞いた。「確かに私は来た。でも私は見て判るとおりの人間で、別に特別な人間ではないし、歌いながらきたというが歌もはっきりいって下手だよ。私が君の最後に何をしてあげられるのだろう。」猫はまた、最初に見せた微笑を真っ直ぐこちらに向けながら、言った。「ぼくの願いは人になること。人になるということは、人間になるということ。人の間で生き続ける事が出来るのならば、ぼくは人でも、人間でも、猫でも、化け猫でもない、ぼくとして人になれるんじゃないかとおもうのです。命の尽きるこのぼくを、あなたの手で人の間に入れるようにして、ぼくを人間にしていただけませんか。」私は黙って聞いていた。「ぼくはもうすぐ死にます。死んだ後、鼠がぼくを喰い散らかしに来る前に、ぼくの皮をはいで三味線にしてくださいませんか。そしてぼくと一緒にあの歌を歌っていただけませんか。」私は三毛猫の顔をじっと見ていた。三毛猫は百歳とは思えない純粋な、透き通るような射抜くような目でこちらを見ていた。何かが繋がったような気がして、私はしゃっと気を吐いて、大きく頷いた。




アルバムはコレ
べべべべん、べべべん、べん。