若き日の僕が見た宗教の真実。

あれは中学二年の夏休み前だったか。
当時僕は近畿圏ではそこそこ有名な私立に通っていた。ほんとそこそこ有名な私立だったので色々な地域から人が集まり、遠くは三重県から通っているというつわものも居たぐらいだ。僕はまあ、隣の県からの通学だったのでそれほど遠くはないが、それでも一応遠距離通学者という名前を割り振られたうちの一人で(他県からの人間は全員そうなるらしい)、毎日学校まで電車で乗り換え1回片道1時間の道のりを通学していた。そういえば母親曰く、子供の頃、大きくなったら何になりたい?と聞かれた僕は学者!、と嬉しそうに答えたらしいが、人生の中で学者という呼称を持っていたのはその時だけでしたよ子供の頃の僕。振り返ると人生はむなしいものである。どうでもいいですね。まあそれでですね、僕が通っていたのは何度も言うとおり、ほんとそこそこ有名な私立だったので、確率の問題で地元の同い年の子も通っていたのです。彼はお寺の子で、いわゆる小坊主でした。
そいつは背が高く恰幅も良い、更に姿勢も良いし性格も良いし顔も別に悪くないという、文章に直して捉えると凄い格好が良いモテそうな奴なのだが当時の僕の持った印象は、妙に落ち着いていて地味なオーラをかもし出す奴、だった。今思えばその特徴は良く言えば「ダンディ」で、悪く言えば「おっさん」のものだ。中学生の身空としては地味と思ってしまうのも無理はない。まあそれも今回どうでもいい話なので措いておこう。
さて、そんなイカス小坊主と音楽少年だった僕の中学生二人。期末試験も終わり、後は適当に課外授業や講習、部活をこなせば夏休みという日、休んだって遅刻したっていいような日だったのだが、律儀にも僕らは朝のはようから駅で待ち合わせ、二人で他愛も無い会話をしながら通学の電車を待っていた。



僕「なあ、夏休みどっか遊びにいかん?どうせ暇やろー」(実のところ暇なのは僕なんだけど)
小坊主「遊びにいきたいんやけど、それがダメなんだなあ。」
僕「あれ、どっか旅行とかいくん?」
小坊主「いや、違うねん。修行。」
僕「へっ?修行て。ジョーク?」
小坊主「いや本当に修行。お寺の宗派で協会みたいなのがあってな、加盟しているお寺の息子達を集めて修行やるねん。毎年やってんねんで。」
僕「へーマジなん?凄いなー。」

ホームに電車が入ってきた。始発駅の近くなので通勤時間といえでも歯抜けの櫛のように空いている。二人分席が空いている場所をみつけて座る。荷物は両足の間で、肩掛けを手に持つ。落ち着いた姿勢をとったところで話の続きをし始めた。

僕「でもさ、お経の読み方とか発声練習とかさ、お寺の経営とか、ほら檀家さんとの話し方とかそういう跡継ぎ教育の講習みたいもんやろ?お寺の子ばっかり集めるって事は。」
小坊主「いやいや、掃除したり滝に打たれたり、まー色々。」
僕「へっ??滝?そんなん本当にしてるもんなんか。」
小坊主「そりゃするで。修行やし。こまい(細かい)事は家で住職から教わればええし、精神修養ってやつがメインやね。」
僕「そういえばこないだの課外授業で禅やった時お前だけ平然と正座してたなぁ。もしかしてそういう修行もあるん?」
小坊主「いや、一応正座をするような時間はあるけど正座に慣れるような訓練はせーへんよ。お寺の子で真面目にやってたら家にいるだけで正座は慣れるもんやねん。」
(そういやこいつの家の寺は地元の山の頂上に本殿?があるデカいところだ。墓地とかもあるし普段から手伝いとかやってそうだな。普段普通の同級生として接しているけど、明らかに違う世界にいるんだなあ。)などと妙に感心し、
僕「凄いなあ。そういう世界も本当にあるんか。」
とうなった。すると小坊主。察した様子で。
小坊主「まあ面白いもんやろ。お寺に興味があるなら檀家さんに配る本があるから、今度持って来るで。」
中学生の頃というのはえてして宗教や哲学に興味があるもので。僕は飛びついた。
僕「読みたい!明日持ってきて!」
程なくして乗り換えの駅に着いた。今日は善人ばかり出るつまらない映画を観る日で億劫だったのだが、面白い世界の話が聞けた上に翌日はその片鱗を見せてもらえるとなれば、そんな映画も滑稽で笑える。気分良く他の友人達と合流し、学校への道を揺られ急いだ。

翌日。僕はまだわくわくしていた。昨日家に帰ってから僕は学校の倫理の教本を読み漁っていたのだが、哲学や宗教を広く浅くカバーしているその本は仏教について大して書かれておらず、それが逆に僕の好奇心をかきたてていた。きっとあいつの持ってくる本には凄い事が書いてあるに違いない。なんせあいつは本物の小坊主だ。修行をしている小坊主だ。野球部の奴らなんかとは格が違うリアル小坊主なんだ。完全に宗教そのものよりその現実性に酔っている僕。そんな事を知ってか知らずか、いつもどおり小坊主が駅に来た。いつもと変わらない様子だ。そんな空気の違いに少し冷やされ、雑談をしているうちにホームに電車が入ってきた。いつものように二人分席が空いている場所をみつけて座り、荷物は両足の間、肩掛けを手に持つ。落ち着いた姿勢をとったところで話を切り出した。

僕「昨日言ってた本、持ってきてくれた?」
小坊主「うん、持ってきたでー。ちょっと出すなあ。」

小坊主は足元に在る学制かばんを膝に置いてファスナーをあけ、中から白い本を取り出し、はい、と僕に手渡した。思っていたような小冊子ではなく、立派なハードカバーの本だった。

僕「んじゃ借りるね。」
小坊主「ほいほい。」
言葉数少なく僕は読書を開始した。

檀家向けのものだけあって、中身はやはり判りやすく面白いものだった。宗教としての属性や、思想的な派生を抑えた倫理教本とは違い、具体的な教義や世界観を示す内容はまるで綿密な設定のファンタジーやSFのように読める。まさに仏教らしく因縁で結ばれた言葉達は、教えという形態をとらずに読まれ、理解されていく。
夢中になって読んでいた。元々そういう素地があったのだろう。気付けば本は地獄の項目に差し掛かっていた。それは恐怖心を刷り込む為の内容で、地獄絵図と共に鬼による責め苦の方法や地獄の種類などが並んでいた。僕といえば、喜んで読んではいたものの、ヤクって死んだジミヘンという偶像を信奉していたような輩ですから信心などこれっぽちもある訳も無く、ただその地獄の想像力を面白がっていた。黒縄地獄!そういうのもあるのか。などと。
しかししばらく読んでいて、僕はどうしても看過できない問題にぶち当たった。その強固な世界観のほころびは、信徒たりえぬ僕にとっては人のつくりしものという証のようであり、面白味でもあったのだが、僕は不用意にもちょっとした意地悪のつもりでまだ「小」の取れない未熟な小坊主にその難問をぶつけてしまった。

僕「・・・なあなあ。」
小坊主「ん、どした。黙って読んでたと思ったらいきなり。」
僕「あんな、地獄の項目読んでたんだけど。」
小坊主「うんうん。」
僕「ここにな、死んでから地獄まで落ちるのには、本当に落下して行くって書いてあるんだけど。」
小坊主「うん。そういうね。」
僕「地獄までたどり着くのに実時間で2000年かかるって書いてあるんだけど。」
小坊主「うんうん。」
僕「2000年かかるならまだ誰も戻ってきてないやん。なのに誰が地獄の事なんて書けるん?」

僕としては会心の質問のつもりだった。いつも悠然と構える小坊主が口ごもる姿をみれれば、それはそれで面白いと思ったんだ。
ところが小坊主はいつもと何ら変わらない様子で、にこやかに僕にこう言った。


小坊主「それ人に言うたら地獄に落ちるで。」



20分後、僕の地獄行きは決定した。横で友人が堕落する様を見ていた小坊主だが、何故か顔は嬉しそうだったのをよく覚えている。
今では彼も名前の「小」が取れ、立派な坊主としてスクーターに跨り町を彷徨っている。身の丈に合うようになった、相変わらずのあのオーラを発しながら。