年の瀬歳の瀬何かの瀬。

やあ今年も遂に終わりますね、と誰にともなく親しげに話しかけるブログです、ここは。確かそうだったのではなかろーか。およそ半年ぶりのエントリーで勝手がわからず、感じの違う気もしないでもないが、改めてこの媒体における自己分析やら再構築をするのも滑稽なので私のいつもどおりの感覚で行く事とするー。



やあやあ今年も遂に終わりますね。今年はいろいろありまして、などといわずとも、何事もない年などこれまで三十年の人生で一年たりともなかったわけで、須らく年末を迎える趣をとる人々にとって共通の念でありましょうが、ほんとうにいろいろありましたなー。
私の場合、まず自身の事として長かった二十代を終えて新たなジェネレーションに突入しました。しかしまあ、三十路ロードに入ったからといって額に紋様が浮かび上がり世界を牛耳る財閥の総帥の隠し子だと発覚したーとか、長年の禁欲の行の結果功徳を得て魔法を使えるようになったー、とかいう世界が変わるような事はなかったです。残念。変化といえばせいぜい学生時代の友人同士の会話で「異業種への転職はそろそろ厳しいよな。」とか「マイホームどうしてる?」とか「なんでお前結婚しないの?」とかとか、お互いに呪詛を吐き酒を不味くするようになったくらい。私を含め、地元大阪で就職した友人が多く、そのうち数人とは年に数回何か理由をつけて飲み話していたのですが、それぞれ違う職につき、互いの世界がどんどん変わっていったことで共通の話題がなくなり、会話の内容が世間的な認識における節目の三十代という「世代」に凝縮されてきているようです。何というか、何かを忘れていってる気がするんですが、何を忘れていってるのか自分ではてんで判らない。昔って何話してたっけ俺達。と、振り返ると意外と怖い三十路の門が、今年はあった。

そうそう、一昨年の末に立ち上がり友人密かにと進行していた自腹ぷろじぇくと。こいつも今年の年末、遂数日前で了となりまして。本業以外のデータをしこしこ作ったりと面倒なことを任されることも多く、少人数ゆえに仕方ないとは思いつつも明確に決められていない責任者の手際の悪さにいらついたりもしたけども、終えてみればやってよかったなぁ、と思える仕事となりましたよ。今年に入って資金が足りなくなり中止を考えたりもしたけど、そこまで費やした時間と費用、やってることの面白さになんとか踏みとどまったっけ。とはいっても無い袖は振れない、じゃあ通らないし、使ってない自分の機材売り払ってしのいだんだよなあ。おかげで家の中、機材のラックがスッカスカだけど、この充実感に勝るものはないね。いやぁハハハ、やってよかったなぁ。と思いたい。
自宅のベットで寝ころんで見える、見えなくなったものは、何になったのか。そう考え始めると、見えなくなったものの価値を是したいがゆえか、無性に何かをしたくなり、あるいはそれを壊したいとすらおぼえる。焦燥のよう、悔悟のような、希望のような、半ば狂気じみた一つの終りが、今年はあった。

今年の、いつだったか、実家にお歳暮の強奪に寄った際に、母が泡を飛ばしながら言った。こないだ定年退職した叔父さんが新しく就職した会社の健康診断に引っ掛かって明後日再検査なんだって。どうも退職後の休暇中に自室でお酒飲みながら煙草をふかして横になって煎餅ついばみずっとテレビばっかみてたらしくてそりゃ体も悪くなるわって叔母さんがカンカンで、電話で愚痴の嵐でさー。その時私は世間話の嵐を受けていると思った。と、その翌週。叔父の再検査の結果が判明した。大病だった。余命半年と宣告された。
四十年近く会社勤めをし、立派に定年退職され、ほんの数か月休息し、また働きに出た叔父。学生の頃はアスリートで、国体にも出場した事があるほどの選手だったそうで、丈夫、元気の体現者といえる。周囲の人は、強すぎて病気をこらえすぎたのかもね、などというが、それもひどい話だ。後で聞いた話だが、退職休暇中の叔父は、在任中に録り貯めていた昔選手をしていたスポーツのビデオを部屋でみていたんだそうだ。やはりそのスポーツが好きで仕方なかったらしい。
私の歳になると、この世からいなくなってしまった友人も幾人かいるし、流石に「人生って何なんだ!?」などと浮かぶたびに逡巡するような言葉は吐くまいと思う。だが現実にあって、無常といえばぴたと納まる言葉の残酷さには、どう整理をつけようとしても、考えるほどやりきれない思いがする。それすら無常の内にあり、消化されるという根拠のない予感もするが、流石にそれは更に勝手な残酷さであって、思いに沈む余地もないと恥じ入る。そういった繰り返し。捉え切れない無常の観が今年はあった。

そんなふうに、いつものように今年もいろいろありまして。いろいろ思うこともあったわけです。毎年同じように何かが起こり、何かを考えるわけですが、これまで一度だって同じことが起きたことは、私にはなかったと思われます。結局のところ、目の前を過ぎる一秒で暦が切り変わろうとも、我々は常に回転する世界の瀬を歩き続けているに過ぎず、大きく時が過ぎ去ることも、遅々として世界が変わらないこともないのであろう。ただただ、年の瀬という一点を指す事を機会とし、今と自分を省みることが何かの瀬になることを祈りつ。それではよいおとしを。
来年はもっとブログかくぞー。