日は沈まねばならぬ。灯は点してはならぬ。それを知ってはならぬ。

色々あって、一時的に仕事から離れているのだが、それでも日がな一日目に見えぬ赤いという何かしらに縛られてる訳でもなく、むしろふつーの仕事のコアタイムから外れつも空いてる時間が多かったりする。ので、これまでの人生でやった事のない仕事を、時間の融通のきくバイトという形態でしてみる事にしたのだ。選んだのは映画館の映写であった。



「映写室というのは、これまで生きていた外界とは別の【映写機>フィルム>映写技師】というヒエラルキーの元になりたってんです。」
と、映写室の入り口で映写技師たる先生ははじめにこういった。
どちらかというとぶっきらぼうで、口下手な先生は続けた。
「まず映写室に入ってする事は、照明をつける。場内の照明もここでつけれるんで、掃除する為に今のうちにつける事。映写室の照明をつけるのは営業前と営業後しかないんで、今きっちり掃除をする。」
僕にモップを手渡し、僕の前の映写機の上から埃取りのふわふわな棒で埃をかき落とすようなしぐさをするので、僕はそれに合わせてモップを動かす動作をした。
「掃除が終わったらそこの映写室の排気スイッチ。んで空調。同時に動かすと、片方が動いていなかった場合判らないので排気から順に確認しながらつける。」
排気ってなんぞや、と僕は思い、メモ書きを止めてペンを持ち上げた瞬間、先生は言った。
「映写機のライト、ランプは高熱になるからきっちり排気して放熱しないと寿命が短く・・・いや爆発・・・みたいなもんになるから、絶対に確認する事。たまに動かない事あるよ。」
僕が、え、爆発は大袈裟でしょう、と冗談かと思って返したらば、先生は真顔。
「爆発・・・はまあ、大袈裟というかな。でも映写機のランプっていうのはキセノンランプといってものすごい高熱になるんで排気冷却しないと危ない。高熱の時にランプハウスを開けてつばでも着いちゃったら爆発するよ。」
流石に高熱の時にあけないですよー、と返すと、先生はお構いなしに続けた。
「キセノンランプの外側は石英で出来てんです。これは割れると凄い薄く、鋭いかけらになる。ちょっとした爆発で吹き飛んでも、まあ凄い事になるよ。」
それでこんなに大仰な排気パイプがついてるんですね。と、とにかく流れにだけ沿って会話を成立させようと言ったが早いか、先生は僕に構うことなく配電盤に向かい電源を入れて回り、いろいろと機器のスイッチを切ったり入れたりして映写機を動かし始めた。
「いろいろと教えておかなくちゃならないんだけど、上映の時間が近いから映写機を暖めないといけない。朝は時間無いからとりあえず説明しながらやるから観て、所々メモして。」
そういって忙しく上映の支度を始めた。説明を聞いても僕はちんぷんかんぷんで、先生の口からでる単語を時系列順に並べて整理するだけで精一杯であった。

数日がたち、僕は先生の説明や、やる事の意味が判るようになってきて、映写室での仕事の流れだけはちゃんと掴めるようになった。流れだけ、というのは、実際に映写室内の仕事を上映の合間に教わり反復練習させて貰っているのだが、単純なフィルム掛けですら先生の4倍の時間がかかる始末で、流れは掴めても流れにはまだまだ乗れないという状態だからだ。フィルムをかけるルートすらおぼつかず、迷いながらちまちまと。間欠機構の上にのるループなんてフィルムの目をきっちり数えないと作れません。川にはまった馬みたいなもんで、右往左往して見苦しいだけで、現場の流れに何の寄与もしていません。
先生はというと、そんな僕に判り易く指示をしながら、今度ある特集映画のフィルムの編集をし、かつ上映中の音と映像のチェックをしつつ、次の上映の準備をしている。何も慌てることなく。自分のやってる事が判っていて、自分が何をすべきか完全に判っている。僕という異物がいても何ら支障がないというのは凄いものである。動いているのは映写機だが、その場を流し動かしているのはまぎれもなく先生であった。映写機を輝かせているのは、うちに風巻いて空を澄ませている人がいるからだという、なかなか知覚されざる事実である。

優秀な先生に恵まれ、バイトが面白くなってきたある日。僕に懐かしい番号からの電話が届く。学生時代バイトをしていた先の部長さんで、訳あって近くでバイトをしている事を知り、訳アリなのを承知で短期でいいから正社員として事務やんないか、来月から空きが出るんで、という電話であった。

映画館の事務所で、先生の前で、僕は頭を下げた。僕はもう結構歳ですし、今後以前と同じ仕事に戻る時に、前職がアルバイトであるより正社員であった方がいいし、何より不況の今向こうから正社員の話が来るというのは有難い事ですので、受けたいと思ってるのですが・・・。
先生は映写室の中とは打って変わり、明るくも困ったような笑顔で、言葉につまり、選びながら
「そうですよね〜、うちで働いても何年もやらないと社員にはなれないですから。良い事ですよ。」
と何度も言われた。僕はそう言われるのに抗して何度も頭を下げながら、恥ずかしくて、情けなくて涙が出そうになるのを堪えていた。
何で僕は頭を下げる事になったのだろう。何で僕はこの人に愛想笑いなどさせてしまっているのだろう。先生の真剣な目や光を紡ぎ出すその手が迷い慌ただしく宙を舞うのをみて僕は、なぜ自分がここに来てしまったのかと、浅薄さに悶えた。もう何処にでも行ける歳ではないのだ、俺は。