日常分割世界増殖。

学生の頃から使っていた機材を処分中。家を追い出されたのさー、というのは半分冗談で実家の私の部屋にどこぞのだれぞが入るから置いていった荷物を空けろと指示されての事だ。撤去しつつそれに付いた擦り傷を眺め、柱の傷は一昨年のーとか涙ながらに感傷に浸る、訳ゃ無いのだが、やはり使い込んだ道具を手放すのは何かしらの喪失感が伴うもんで色々考えた。そこに特筆する因縁が生じていて強く思いを抱いているという訳でもないのだが、それでも何となく、此処に在ったモノを自ずから自身の世界から切り離し送り出すと云うこの行為は神聖な儀式のよーにみえる。
不幸にしてそこに思い入れを持たないと感じている間にはよく互いの存在する世界を切り離し、進み生き、面影を見出し振り返った瞬間に初めて別れを知り、大抵の場合、後に遭遇する事は無い。広汎で煩多な世界を刻み狭くする人間にとって永訣はあっけ無い程身近なものとなったのだが、その不可知の別れ故の別れとしての不完全さは逆に見えない世界を感じさせる。人は地平に映る影に此処でない世界を見、地平に影が映らぬは遠き果てを行く人を見る。そこにある両者、不可知の彼方と存在が結びついた時、新たな世界が産声を上げている。
だから手放す。使える道具を死蔵させるのは殺すに等しい。この道具と、まだ生まれていない世界を。