嗚呼ゲド戦記

アニメに疎いもんで、今日まで全く知らなかったのですが
ゲド戦記がアニメ映画で7月に公開されるんですね。しかもあのスタジオジブリの作品。ネットで検索してみたら予告編映像がありましたんで観てみたのですが、3巻と4巻を混ぜた感じの脚本かなあコレは。ナルニア国物語指輪物語ゲド戦記は総じて世界三大ファンタジーと呼ばれているんだけども。それぞれ映画化以前の日本国内一般層での新党率としてはナルニア→指輪→ゲドだと思われるのだが、私の実家の本棚には何故か指輪物語だけが無くナルニアとゲドは全巻あった。それは何故かというと、まあ意味は無いらしい。私の幼少時の流行だそうだ。



で、まあガキの頃合にそれらを読んでいたんで話の概要は大体掴めているのですが、映画でゲドか。ほんと冗談かと思った。

というのもゲド戦記というのは確かに心躍るようなエピソード、魔法や人を遥かに越えた竜との戦い、それを従える展開等あるのですが全作通して、主人公の絶対敵となって追ったり追われたりするのはえらく抽象的なモノ、真に恐ろしい、自分、人類、世界の闇みたいな存在なのだ。悪神や恐怖の女王が猛威を振るっているわけでは無く、「何か」で変わってしまった軋んで壊れかかる「世界」そのものと、そこで具現化された力が敵とも何とも付かない形で存在する。主人公にとって、力の向かうべき先が不透明で曖昧なので困惑し、迷走し続け、様々な局面に陥る。
強大な敵と戦い、機転で切り抜けるシーンを魅せるではなく、そんな、節々で迷いながらも時に飄々、時に足掻いて進む主人公達の様相、展開を観せるのを基調としている。明らかに、長くて精々2時間の映画より半年を費やして語るテレビ向けじゃなあなかろか。

そこいら辺は私が話を作る人間じゃ無いので技巧的な知識が無く上手く纏めれる展望を頭に抱けないだけな可能性が高いか。というか正直に言うと「映画に向いてないんじゃない?」というより「テレビ向けにじっくり作ったモノが観たかった!」という原作ファンとしての愚痴だ。てへ。素直に楽しみですと宣言しておきます。ああ楽しみさーちくしょう。

ちなみに、2段前で「主人公達」と表したのは、原作4巻の内1,2巻がゲド主体、3巻がゲドとアレン主体、4巻がテナー主体だから。

一般的に4巻だけは酷い児童虐待や差別、性的虐待の話題があるので別物扱いされる事が多いが(発刊にも十年単位のずれがあったらしい。)、独特な迷走、焦燥具合はゲド戦記そのもの。よく考えるとゲド戦記って絶対的なモノ、敵に対しては主人公が必ず無力、というより特別な力を持たないんだよなあ。そう考えると4巻が特別な訳でも無い気がしてこないでもない。欲目というか、こじつけかもしれんが。