時の影。

中学高校大学と同じで、大学時代から疎遠になった友人。同輩との会食中の会話でふと野郎の事を思い出し、今なにやってるのかなぁと軽い気持ちでぐーぐる先生に尋ねてみたらば。ちょっとキてる文章主体のセミプロのミュージシャンになっていて、実名で内心をそのまま吐露するようなブログを書いていた。もっとつるんでたらとか、もっと遊んでいたらとか、もうちょっと異性にかまかけず交流していたらとか、はてまた今から声をかけて何か新しい事を、とかとか。余りの変貌振りに色々と頭を掠めたのだが、声をかけるのには妙に躊躇いの色が出た。
子供から大人へとぎこちなく続く階段を上りつ社会性の強い世界に入り、互いを尻目にそれぞれに分たれた道を行き十年。本当に気が付いてみれば十年、と云う感じのものだ。仕事を始め、思索してモノを作り、面白い事をしよう、何か新しいやり方は無いか、と色々なモノに飛びついて、色々なヒトに逢い、酔い、凹み、妬み、歓び、泣きつつ、あれやこれやと十年。過ぎた日は一瞬に感じるというが、今日という日、私が現実に垣間見た友が物語るのは濃密で遠大な時間距離と質量だ。
経たのは同じ十年だが、お互いに自分の速度で消費され続ける時間を払い自分の人生を成した結果、普遍である筈の時が本質的な異質を孕んだ。学び舎という鐘の音で区切られた時間を共有する世界を生きた者同士だからこそ感じる積み上げられた時の作る異形の影。面白いと思う反面、過去の一瞬である私が再び時を刻む調子では無いと感じさせる今への喪失感もあって、ヒトの成す人生という外枠の存在とその内を満たす荒涼とした広大さをおぼろげに感じさせられた。



ちょっとした寂寥感を味わった後、今の私の影はどういう私を彼に映すのかという好奇心が沸き、メールでも送ってみようかと思い始めていたのだが、時計を見れば二時前。明日に備えて寝る事にする。こうやって押し出される様に毎日毎日明日がやっては来るが、まあ狭い日本、そのうち労せずしてひょいと過去と交錯する日も来るだろう。それまでお互いせいぜい長生きしたいものだ。