卵の殻。

眠っていた機材を処分するという事で色々と人に聞いてまわっていた。使いやすい、それほど場所をとらない機材は知り合い連中が引き取ってくれたのだが、高額な機材、マニアックで使い辛く、場所をとる機材が手元に残った。のでー、オークションにかけたのだが。高額な機材は問題なかったのだが、デカイ、面倒な、マニアックなー機材が輸送中に破損して返品されるという運びになった。通常の宅配なので保証は付いてないし、相手さんに落ち度は無いし、そのまま処分してください、というにもデカく粗大ゴミ扱いなので処分費用かゴミ処理センターへの持ち込みの手間がかかる。送り返して貰って分解して自作で小さく纏めて遊ぼうかと画策中なのだが、まあそれも色々と手続きは免れないしなあ、面倒なこって。とか考えていたら、何やらこれまでの自分がそれらを無駄な贅肉の鎧の様に身に纏い誇っていたツケが周ってきたかのように思われてきて変な気分になった。
使えると思って買い込んだ機材が自身の身を重くしているというのは、囲まれるか引き摺るかの違いによる実感の違いなのだろうが、それを切り離した今、本当に必要なモノだけを身に携えているのかと省みると、そうとは言い切れない。面白いというただ一時の判断によって付いてきた物もあるわけで。結局明確な判断というよりタダのその時の決断によって物を切り捨てて生きているんだよなー。と、気付くのはいつも存在し続け煤けた果てに手元から離れた時だという。ああ面倒だなあほんと。道具って奴は。