春の終わりを告げる声

あんな事があったとしても、年に一度の桜の見せ所であるからしてほんわか眺める行は辞めず。



もう季節も移り変わりの時分になり舞いも仕舞い。またね私もと散り散り、舞い散って行く。浮世にあってなお軽いその身は、己の質量を誇るかの様に風に乗って柔らかに石舞台へと着地する。人に踏みしだかれて頑なになった道もこの時ばかりは柔らかに。心成しか道行く人々の足取りも柔らかく、軽やかだ。自然古来の風流とでもいうのかなあ。良い。

思えば私は樹に対しての認識が適当で個人的嗜好の美点ばかり重ねているよう。生死や衰亡の認識が曖昧で不死、不変性を見ている節があるし性別は樹全般が大好きな女性的なイメージだ。寄って拒まれる感覚も無く、生い茂る時には質量による存在感で強さを。風吹き荒び、すっかり風体が寂しくなった頃合に並ぶと天地自然に堪える者同士の様な、妙な親近感が湧く。朽ちる事も切る事も間近に無い現代の都会に住む人間特有の思い込みなんだとしても、世知辛い世界の中で理由をなす事無くただ近くで生きる事が出来る存在が在るというのは何と無しに救われる。

なんて感慨に耽っていたら。隣にずかずかやって来た御姉様。
「大分散ってきよったね〜」
そうですね。ビル風が在るし、かなり豪快に散ってて気持ちが良いですね。
「下に叫びたくなるよね。アレ。」
アレですか。何ですか。
「この桜吹雪が目に入らぬかァ!」

何処かで「ははぁっ!」という声がした。




しかしな、目に入らぬか!はどちらかというと黄門様ではあるまいか。



桜に対するイメージが変わっていやしないだろうかと、来年の桜シーズンが少し怖くなった春の終わりの今日この頃。