スタンス

考え事をしている最中に集中が途切れ、その時外的な刺激を受けると思索が崩れたり捻じ曲がる。どうも刺激に対する執着というか、能動的な理解力が常に無意識領域で働いてるよう。思索の内容によっては、その刺激により、擬似的ではあるが筋道だった体系が見える事もあって有益のようだが、後に事実と照らし合わせて整合性を取る必要があるし、世に出すモノは整合性だけではなく広義な利益不利益で判断しなくていはいけないので実質役に立つ思索というのはほんの僅かだったりする。そんな話は誰にでも経験があるだろうし、どうでもいいか。



考えるに、思索が途切れて阻害されている時というのはPCで言うとマルチタスクになり切れず、刺激にリソースを喰われているんだろう。では外的な刺激に左右されすぎず、尚且つ影響を受けて制作を出来る様にするにはどうしたら良いのだろうか、と考えてみると、なにやら簡単な結論が出る。OSもしくはCPU、メモリにその思考を組み込めばいいんだ、ははは。「道具を使おうとするんじゃねえ、体の一部にしろ。」って職人さんが本等で言われてますけど、これに近いか。

そこから考えてみると「道具を体の一部にする」という考えが非常に素晴らしい言葉に見える。求道的な属性を持ちつつ、外的な刺激を冷静に受け付け、その余裕がある分、独りよがりのモノではなく他者にも受け入れやすいモノが出来上がる印象があるのだ。

ああそうか。だから商売として成り立っている職人さんがよく吐く言葉なのか。心の持ち方を主に叫ぶ芸術家とはそこが違うのか。