もんすたーはんたーどすえ

ゲームショップのポップ広告に乗せられてモンスターハンター2(ドス)を買う。
実を言うと、初代モンスターハンターからかなりスローペースで遊び続け、
先月、初代の続編であるモンスターハンターGのオンラインランクが
27(最高で30)になったばかり。
同じシステムで、またランク1からやり直しというのは少々嫌気がさしもしたが、
オンラインゲームでは珍しく、プレイしていてゲームとして面白い類なので、
手にとって40秒ほど迷っているフリをしてから
すたすたとレジに向かった。

もんげーシリーズの面白い、凄い所って何だろう、と考えてみるに、
豪快な世界観、そしてその豪快さ故の無駄と
システムを直結、言い換えると世界観とゲームシステムを
見事に融合させている所なんだろう。
実質的な動きとして無駄=制約や制限で成り立っているの対し、
本質的に同位上に成り立っているゲームのキャラクターどもには
それは個性であり、それをプレイする側にもそう受け取れる様に
世界観の魅力と上手いこと共振させて仕上げているといった所か。

攻撃するまでのレイテンシーが攻撃の重さと表現され
そのレイテンシーの換算表現のお蔭で高速に動く必然性が無く、
オンライン時の通信に余裕が生まれる。
重いというイメージは巨大な竜に立ち向かえる頑強さを正当化し、
コメディ的な要素はあるが、リアリティを目指したであろう映像表現の中で
巨大生物と対等に渡り合えるという有り得ない描写も同時に正当化する。

簡単に思いつくだけでも二重三重に世界観とシステムの利点が
絡み合って消化、もとい昇華されている。
原案を考えた人がそこまで総て見通してたかどうかは定かではないが、
制作過程で骨子を削りだしている段階では確実に、肉付けすればするほど
正に巨大な龍が出来上がる感覚がして高揚したんだろうなあ。
と、妄想を肥大化させて羨望の眼差しをモニターの向こうにやりつつ
彼等の成果をひそひそと享受しているのであった。