日は沈まねばならぬ。灯は点してはならぬ。それを知ってはならぬ。

色々あって、一時的に仕事から離れているのだが、それでも日がな一日目に見えぬ赤いという何かしらに縛られてる訳でもなく、むしろふつーの仕事のコアタイムから外れつも空いてる時間が多かったりする。ので、これまでの人生でやった事のない仕事を、時間の融通のきくバイトという形態でしてみる事にしたのだ。選んだのは映画館の映写であった。



「映写室というのは、これまで生きていた外界とは別の【映写機>フィルム>映写技師】というヒエラルキーの元になりたってんです。」
と、映写室の入り口で映写技師たる先生ははじめにこういった。
どちらかというとぶっきらぼうで、口下手な先生は続けた。
「まず映写室に入ってする事は、照明をつける。場内の照明もここでつけれるんで、掃除する為に今のうちにつける事。映写室の照明をつけるのは営業前と営業後しかないんで、今きっちり掃除をする。」
僕にモップを手渡し、僕の前の映写機の上から埃取りのふわふわな棒で埃をかき落とすようなしぐさをするので、僕はそれに合わせてモップを動かす動作をした。
「掃除が終わったらそこの映写室の排気スイッチ。んで空調。同時に動かすと、片方が動いていなかった場合判らないので排気から順に確認しながらつける。」
排気ってなんぞや、と僕は思い、メモ書きを止めてペンを持ち上げた瞬間、先生は言った。
「映写機のライト、ランプは高熱になるからきっちり排気して放熱しないと寿命が短く・・・いや爆発・・・みたいなもんになるから、絶対に確認する事。たまに動かない事あるよ。」
僕が、え、爆発は大袈裟でしょう、と冗談かと思って返したらば、先生は真顔。
「爆発・・・はまあ、大袈裟というかな。でも映写機のランプっていうのはキセノンランプといってものすごい高熱になるんで排気冷却しないと危ない。高熱の時にランプハウスを開けてつばでも着いちゃったら爆発するよ。」
流石に高熱の時にあけないですよー、と返すと、先生はお構いなしに続けた。
「キセノンランプの外側は石英で出来てんです。これは割れると凄い薄く、鋭いかけらになる。ちょっとした爆発で吹き飛んでも、まあ凄い事になるよ。」
それでこんなに大仰な排気パイプがついてるんですね。と、とにかく流れにだけ沿って会話を成立させようと言ったが早いか、先生は僕に構うことなく配電盤に向かい電源を入れて回り、いろいろと機器のスイッチを切ったり入れたりして映写機を動かし始めた。
「いろいろと教えておかなくちゃならないんだけど、上映の時間が近いから映写機を暖めないといけない。朝は時間無いからとりあえず説明しながらやるから観て、所々メモして。」
そういって忙しく上映の支度を始めた。説明を聞いても僕はちんぷんかんぷんで、先生の口からでる単語を時系列順に並べて整理するだけで精一杯であった。

数日がたち、僕は先生の説明や、やる事の意味が判るようになってきて、映写室での仕事の流れだけはちゃんと掴めるようになった。流れだけ、というのは、実際に映写室内の仕事を上映の合間に教わり反復練習させて貰っているのだが、単純なフィルム掛けですら先生の4倍の時間がかかる始末で、流れは掴めても流れにはまだまだ乗れないという状態だからだ。フィルムをかけるルートすらおぼつかず、迷いながらちまちまと。間欠機構の上にのるループなんてフィルムの目をきっちり数えないと作れません。川にはまった馬みたいなもんで、右往左往して見苦しいだけで、現場の流れに何の寄与もしていません。
先生はというと、そんな僕に判り易く指示をしながら、今度ある特集映画のフィルムの編集をし、かつ上映中の音と映像のチェックをしつつ、次の上映の準備をしている。何も慌てることなく。自分のやってる事が判っていて、自分が何をすべきか完全に判っている。僕という異物がいても何ら支障がないというのは凄いものである。動いているのは映写機だが、その場を流し動かしているのはまぎれもなく先生であった。映写機を輝かせているのは、うちに風巻いて空を澄ませている人がいるからだという、なかなか知覚されざる事実である。

優秀な先生に恵まれ、バイトが面白くなってきたある日。僕に懐かしい番号からの電話が届く。学生時代バイトをしていた先の部長さんで、訳あって近くでバイトをしている事を知り、訳アリなのを承知で短期でいいから正社員として事務やんないか、来月から空きが出るんで、という電話であった。

映画館の事務所で、先生の前で、僕は頭を下げた。僕はもう結構歳ですし、今後以前と同じ仕事に戻る時に、前職がアルバイトであるより正社員であった方がいいし、何より不況の今向こうから正社員の話が来るというのは有難い事ですので、受けたいと思ってるのですが・・・。
先生は映写室の中とは打って変わり、明るくも困ったような笑顔で、言葉につまり、選びながら
「そうですよね〜、うちで働いても何年もやらないと社員にはなれないですから。良い事ですよ。」
と何度も言われた。僕はそう言われるのに抗して何度も頭を下げながら、恥ずかしくて、情けなくて涙が出そうになるのを堪えていた。
何で僕は頭を下げる事になったのだろう。何で僕はこの人に愛想笑いなどさせてしまっているのだろう。先生の真剣な目や光を紡ぎ出すその手が迷い慌ただしく宙を舞うのをみて僕は、なぜ自分がここに来てしまったのかと、浅薄さに悶えた。もう何処にでも行ける歳ではないのだ、俺は。

年の瀬歳の瀬何かの瀬。

やあ今年も遂に終わりますね、と誰にともなく親しげに話しかけるブログです、ここは。確かそうだったのではなかろーか。およそ半年ぶりのエントリーで勝手がわからず、感じの違う気もしないでもないが、改めてこの媒体における自己分析やら再構築をするのも滑稽なので私のいつもどおりの感覚で行く事とするー。



やあやあ今年も遂に終わりますね。今年はいろいろありまして、などといわずとも、何事もない年などこれまで三十年の人生で一年たりともなかったわけで、須らく年末を迎える趣をとる人々にとって共通の念でありましょうが、ほんとうにいろいろありましたなー。
私の場合、まず自身の事として長かった二十代を終えて新たなジェネレーションに突入しました。しかしまあ、三十路ロードに入ったからといって額に紋様が浮かび上がり世界を牛耳る財閥の総帥の隠し子だと発覚したーとか、長年の禁欲の行の結果功徳を得て魔法を使えるようになったー、とかいう世界が変わるような事はなかったです。残念。変化といえばせいぜい学生時代の友人同士の会話で「異業種への転職はそろそろ厳しいよな。」とか「マイホームどうしてる?」とか「なんでお前結婚しないの?」とかとか、お互いに呪詛を吐き酒を不味くするようになったくらい。私を含め、地元大阪で就職した友人が多く、そのうち数人とは年に数回何か理由をつけて飲み話していたのですが、それぞれ違う職につき、互いの世界がどんどん変わっていったことで共通の話題がなくなり、会話の内容が世間的な認識における節目の三十代という「世代」に凝縮されてきているようです。何というか、何かを忘れていってる気がするんですが、何を忘れていってるのか自分ではてんで判らない。昔って何話してたっけ俺達。と、振り返ると意外と怖い三十路の門が、今年はあった。

そうそう、一昨年の末に立ち上がり友人密かにと進行していた自腹ぷろじぇくと。こいつも今年の年末、遂数日前で了となりまして。本業以外のデータをしこしこ作ったりと面倒なことを任されることも多く、少人数ゆえに仕方ないとは思いつつも明確に決められていない責任者の手際の悪さにいらついたりもしたけども、終えてみればやってよかったなぁ、と思える仕事となりましたよ。今年に入って資金が足りなくなり中止を考えたりもしたけど、そこまで費やした時間と費用、やってることの面白さになんとか踏みとどまったっけ。とはいっても無い袖は振れない、じゃあ通らないし、使ってない自分の機材売り払ってしのいだんだよなあ。おかげで家の中、機材のラックがスッカスカだけど、この充実感に勝るものはないね。いやぁハハハ、やってよかったなぁ。と思いたい。
自宅のベットで寝ころんで見える、見えなくなったものは、何になったのか。そう考え始めると、見えなくなったものの価値を是したいがゆえか、無性に何かをしたくなり、あるいはそれを壊したいとすらおぼえる。焦燥のよう、悔悟のような、希望のような、半ば狂気じみた一つの終りが、今年はあった。

今年の、いつだったか、実家にお歳暮の強奪に寄った際に、母が泡を飛ばしながら言った。こないだ定年退職した叔父さんが新しく就職した会社の健康診断に引っ掛かって明後日再検査なんだって。どうも退職後の休暇中に自室でお酒飲みながら煙草をふかして横になって煎餅ついばみずっとテレビばっかみてたらしくてそりゃ体も悪くなるわって叔母さんがカンカンで、電話で愚痴の嵐でさー。その時私は世間話の嵐を受けていると思った。と、その翌週。叔父の再検査の結果が判明した。大病だった。余命半年と宣告された。
四十年近く会社勤めをし、立派に定年退職され、ほんの数か月休息し、また働きに出た叔父。学生の頃はアスリートで、国体にも出場した事があるほどの選手だったそうで、丈夫、元気の体現者といえる。周囲の人は、強すぎて病気をこらえすぎたのかもね、などというが、それもひどい話だ。後で聞いた話だが、退職休暇中の叔父は、在任中に録り貯めていた昔選手をしていたスポーツのビデオを部屋でみていたんだそうだ。やはりそのスポーツが好きで仕方なかったらしい。
私の歳になると、この世からいなくなってしまった友人も幾人かいるし、流石に「人生って何なんだ!?」などと浮かぶたびに逡巡するような言葉は吐くまいと思う。だが現実にあって、無常といえばぴたと納まる言葉の残酷さには、どう整理をつけようとしても、考えるほどやりきれない思いがする。それすら無常の内にあり、消化されるという根拠のない予感もするが、流石にそれは更に勝手な残酷さであって、思いに沈む余地もないと恥じ入る。そういった繰り返し。捉え切れない無常の観が今年はあった。

そんなふうに、いつものように今年もいろいろありまして。いろいろ思うこともあったわけです。毎年同じように何かが起こり、何かを考えるわけですが、これまで一度だって同じことが起きたことは、私にはなかったと思われます。結局のところ、目の前を過ぎる一秒で暦が切り変わろうとも、我々は常に回転する世界の瀬を歩き続けているに過ぎず、大きく時が過ぎ去ることも、遅々として世界が変わらないこともないのであろう。ただただ、年の瀬という一点を指す事を機会とし、今と自分を省みることが何かの瀬になることを祈りつ。それではよいおとしを。
来年はもっとブログかくぞー。

若き日の僕が見た宗教の真実。

あれは中学二年の夏休み前だったか。
当時僕は近畿圏ではそこそこ有名な私立に通っていた。ほんとそこそこ有名な私立だったので色々な地域から人が集まり、遠くは三重県から通っているというつわものも居たぐらいだ。僕はまあ、隣の県からの通学だったのでそれほど遠くはないが、それでも一応遠距離通学者という名前を割り振られたうちの一人で(他県からの人間は全員そうなるらしい)、毎日学校まで電車で乗り換え1回片道1時間の道のりを通学していた。そういえば母親曰く、子供の頃、大きくなったら何になりたい?と聞かれた僕は学者!、と嬉しそうに答えたらしいが、人生の中で学者という呼称を持っていたのはその時だけでしたよ子供の頃の僕。振り返ると人生はむなしいものである。どうでもいいですね。まあそれでですね、僕が通っていたのは何度も言うとおり、ほんとそこそこ有名な私立だったので、確率の問題で地元の同い年の子も通っていたのです。彼はお寺の子で、いわゆる小坊主でした。
そいつは背が高く恰幅も良い、更に姿勢も良いし性格も良いし顔も別に悪くないという、文章に直して捉えると凄い格好が良いモテそうな奴なのだが当時の僕の持った印象は、妙に落ち着いていて地味なオーラをかもし出す奴、だった。今思えばその特徴は良く言えば「ダンディ」で、悪く言えば「おっさん」のものだ。中学生の身空としては地味と思ってしまうのも無理はない。まあそれも今回どうでもいい話なので措いておこう。
さて、そんなイカス小坊主と音楽少年だった僕の中学生二人。期末試験も終わり、後は適当に課外授業や講習、部活をこなせば夏休みという日、休んだって遅刻したっていいような日だったのだが、律儀にも僕らは朝のはようから駅で待ち合わせ、二人で他愛も無い会話をしながら通学の電車を待っていた。



僕「なあ、夏休みどっか遊びにいかん?どうせ暇やろー」(実のところ暇なのは僕なんだけど)
小坊主「遊びにいきたいんやけど、それがダメなんだなあ。」
僕「あれ、どっか旅行とかいくん?」
小坊主「いや、違うねん。修行。」
僕「へっ?修行て。ジョーク?」
小坊主「いや本当に修行。お寺の宗派で協会みたいなのがあってな、加盟しているお寺の息子達を集めて修行やるねん。毎年やってんねんで。」
僕「へーマジなん?凄いなー。」

ホームに電車が入ってきた。始発駅の近くなので通勤時間といえでも歯抜けの櫛のように空いている。二人分席が空いている場所をみつけて座る。荷物は両足の間で、肩掛けを手に持つ。落ち着いた姿勢をとったところで話の続きをし始めた。

僕「でもさ、お経の読み方とか発声練習とかさ、お寺の経営とか、ほら檀家さんとの話し方とかそういう跡継ぎ教育の講習みたいもんやろ?お寺の子ばっかり集めるって事は。」
小坊主「いやいや、掃除したり滝に打たれたり、まー色々。」
僕「へっ??滝?そんなん本当にしてるもんなんか。」
小坊主「そりゃするで。修行やし。こまい(細かい)事は家で住職から教わればええし、精神修養ってやつがメインやね。」
僕「そういえばこないだの課外授業で禅やった時お前だけ平然と正座してたなぁ。もしかしてそういう修行もあるん?」
小坊主「いや、一応正座をするような時間はあるけど正座に慣れるような訓練はせーへんよ。お寺の子で真面目にやってたら家にいるだけで正座は慣れるもんやねん。」
(そういやこいつの家の寺は地元の山の頂上に本殿?があるデカいところだ。墓地とかもあるし普段から手伝いとかやってそうだな。普段普通の同級生として接しているけど、明らかに違う世界にいるんだなあ。)などと妙に感心し、
僕「凄いなあ。そういう世界も本当にあるんか。」
とうなった。すると小坊主。察した様子で。
小坊主「まあ面白いもんやろ。お寺に興味があるなら檀家さんに配る本があるから、今度持って来るで。」
中学生の頃というのはえてして宗教や哲学に興味があるもので。僕は飛びついた。
僕「読みたい!明日持ってきて!」
程なくして乗り換えの駅に着いた。今日は善人ばかり出るつまらない映画を観る日で億劫だったのだが、面白い世界の話が聞けた上に翌日はその片鱗を見せてもらえるとなれば、そんな映画も滑稽で笑える。気分良く他の友人達と合流し、学校への道を揺られ急いだ。

翌日。僕はまだわくわくしていた。昨日家に帰ってから僕は学校の倫理の教本を読み漁っていたのだが、哲学や宗教を広く浅くカバーしているその本は仏教について大して書かれておらず、それが逆に僕の好奇心をかきたてていた。きっとあいつの持ってくる本には凄い事が書いてあるに違いない。なんせあいつは本物の小坊主だ。修行をしている小坊主だ。野球部の奴らなんかとは格が違うリアル小坊主なんだ。完全に宗教そのものよりその現実性に酔っている僕。そんな事を知ってか知らずか、いつもどおり小坊主が駅に来た。いつもと変わらない様子だ。そんな空気の違いに少し冷やされ、雑談をしているうちにホームに電車が入ってきた。いつものように二人分席が空いている場所をみつけて座り、荷物は両足の間、肩掛けを手に持つ。落ち着いた姿勢をとったところで話を切り出した。

僕「昨日言ってた本、持ってきてくれた?」
小坊主「うん、持ってきたでー。ちょっと出すなあ。」

小坊主は足元に在る学制かばんを膝に置いてファスナーをあけ、中から白い本を取り出し、はい、と僕に手渡した。思っていたような小冊子ではなく、立派なハードカバーの本だった。

僕「んじゃ借りるね。」
小坊主「ほいほい。」
言葉数少なく僕は読書を開始した。

檀家向けのものだけあって、中身はやはり判りやすく面白いものだった。宗教としての属性や、思想的な派生を抑えた倫理教本とは違い、具体的な教義や世界観を示す内容はまるで綿密な設定のファンタジーやSFのように読める。まさに仏教らしく因縁で結ばれた言葉達は、教えという形態をとらずに読まれ、理解されていく。
夢中になって読んでいた。元々そういう素地があったのだろう。気付けば本は地獄の項目に差し掛かっていた。それは恐怖心を刷り込む為の内容で、地獄絵図と共に鬼による責め苦の方法や地獄の種類などが並んでいた。僕といえば、喜んで読んではいたものの、ヤクって死んだジミヘンという偶像を信奉していたような輩ですから信心などこれっぽちもある訳も無く、ただその地獄の想像力を面白がっていた。黒縄地獄!そういうのもあるのか。などと。
しかししばらく読んでいて、僕はどうしても看過できない問題にぶち当たった。その強固な世界観のほころびは、信徒たりえぬ僕にとっては人のつくりしものという証のようであり、面白味でもあったのだが、僕は不用意にもちょっとした意地悪のつもりでまだ「小」の取れない未熟な小坊主にその難問をぶつけてしまった。

僕「・・・なあなあ。」
小坊主「ん、どした。黙って読んでたと思ったらいきなり。」
僕「あんな、地獄の項目読んでたんだけど。」
小坊主「うんうん。」
僕「ここにな、死んでから地獄まで落ちるのには、本当に落下して行くって書いてあるんだけど。」
小坊主「うん。そういうね。」
僕「地獄までたどり着くのに実時間で2000年かかるって書いてあるんだけど。」
小坊主「うんうん。」
僕「2000年かかるならまだ誰も戻ってきてないやん。なのに誰が地獄の事なんて書けるん?」

僕としては会心の質問のつもりだった。いつも悠然と構える小坊主が口ごもる姿をみれれば、それはそれで面白いと思ったんだ。
ところが小坊主はいつもと何ら変わらない様子で、にこやかに僕にこう言った。


小坊主「それ人に言うたら地獄に落ちるで。」



20分後、僕の地獄行きは決定した。横で友人が堕落する様を見ていた小坊主だが、何故か顔は嬉しそうだったのをよく覚えている。
今では彼も名前の「小」が取れ、立派な坊主としてスクーターに跨り町を彷徨っている。身の丈に合うようになった、相変わらずのあのオーラを発しながら。

わかりあえない。

様子見がてらに実家に晩飯を振舞われに帰った際の食卓にて。
言葉数も少なくそもそも和気藹々と進んで盛り立てる必要性も無いので黙々と食事をしていたのだが、急に母が食糧自給率の話をしだした。
母「日本のゴマの自給率って幾つか知ってる?」
私「うーん、2%ぐらい?」
母「0.14%位なんだって(正確性は不明。ネットで調べた限りでは0.04%前後)、知ってた?酷いよね。日本の農業は何でダメなのかな。」
私「農業政策の補助金の関係で必要性に応じて作る作物をコントロールしてるんじゃない?そもそも自給率って消費量、生産量、作物のカロリーで計算していて・・・」

「輸出目的の生産物もそれに準じて計算されるから国によっては多くなるし、二次産業が貿易の柱となってる日本は貿易摩擦を解消する為にも輸入品目となるから上げづらいし、必然的に一次産業に力を入れ辛い状況に陥ってる」

と繋いで話そうとしたら。間髪いれず
母「でもヨーロッパでは自給率100%の国とかあるらしいじゃない。」
切られた。まあいいや。
私「ヨーロッパはEUがあって、EU加盟国はEU内部での輸出入に関税がかからないから・・・」

「農作物の輸出入が頻繁に行われるらしい。んで恒久的な需要として存在する食料品目は安定した経済を目指すEUにとって主幹となるものなので各国予算を多く割いて励行しているんだって。だから安定した需要と予算が相まって生産量も増え、付随して自給率も上がるというわけ。」

と続くつもりだったのだが。早口で
母「関税がなんで関係あんのよ。(いらつき気味)」
シャット。*1今からそれを説明する予定だったんです。
私「いやだから、EUってのは自分達だけでも機能する可塑性のある共同体というか経済圏を目指していて・・・」
ニヤニヤしながらこちらを見る母が勝ち誇るやうに吐く。
母「ようするに、わからないんでしょう。」
ようするに、別に知りたくなかったんだな。私は諦めた。ふーっと一息ついて
私「・・・そうかもしれない。」
呟き箸を進めた。



わかりあえない。

母にとって私はいつまでたってもバカで、そう思っている母はいつまでたってもバカのママ。

*1:しゃっとざふぁっかっぷゆぁまうす の略

助けておっぱい。

連休前の追い込みと云う事ででふーらふら、になるまで飲み屋で精神的接待セクハラしてというかされてというかでほんとふーらふらと帰ってきた。玄関をそおっと開けるとそこには三つ指ついて迎える奥さんがいて、定番のえろちっくな究極の選択を迫ってきたが僕は何も云わず・・・などという妄想が保持できないほどいつもどおりの誰も居ない家である。先刻までの喧騒の余韻が耳鳴りのように脳裏に響いて凄い空しい。実際私を出迎えてくれたのは郵便受けに挟まれたデリヘルのピンクチラシだ。可愛らしい女の子が男物のシャツを着て半裸で座って「あなたの時間を私に・・・」とうたっておる。うわあ、とまたも部分的解釈による妄想が膨らみエロさが脳髄とか色んな髄を走って躍ったのだが、直後躍った自分を俯瞰してまたむなしさを加速させ軽く絶望の淵を覗いていた。さっきまで焼き鳥の皮(皮って何かエッチだよねえ、とか云うネタ振りは今思うと男として恥ずかしくないか?などと理解し今またへこむ)つまみつつ色んな意味で敬愛する女傑先生や後輩の女の子としてたおっぱい談義は何だったのかなぁ、と一寸前の現実を今に擦りあてて悶え愉しむウブを装いつつ変態な感じの私ですが、今日も恥ずかしながら帰ってまいりました。へへへっ、もー何が何だか判らないけどまあいいや、後二日もすれば束の間とはいえ黄金という安っぽい名前の自由を味わえるのだ。新しい機材買いに行ったり、映画みたり、徹ゲーしたり・・・。はっはっは、そうだ自由だ。明後日になりさえすれば。だから今日はもう何も考えず牛乳飲んで寝ちまおう。就寝前の牛乳は安眠効果があり胃にもよいんだぜー。と台所にコップを取りに行ったのが二時間前。そこで僕は出会ってしまった。Gとかゴッキーとか、はてまた俗にゴキブリとか云われるあの野郎に。

万物の霊長と叫ぶも異議を挟まれぬ我らヒトがただ殺す事のみに専念すればその本懐を妨げるものなど何も無い。永遠に通じ合わぬ真なる狂気を生じたヒトの前に残るはただ一つ。それは累代の生の残滓であり、またの名を死という。戦いを覚えたヒトだけが戦士となり、生き残った戦士のみが死をみつけ、死を恐怖し、恐怖と戦う。こうしてヒトだけが戦い続ける。

台所に振りまかれた殺虫成分を洗剤と消毒液でふき取ってまわり、息も絶え絶えとGの這いずり回った後と没した場所を念入りに消毒し、遺骸を厳重に梱包して破棄する。何も見なかった、何も無かったと思いたいんだ。Gなんて見てない、と念じながらGの痕跡を消さんと奔走する。奴のいた場所近辺を長袖長ズボンに靴下スリッパ軍手にゴム手袋、片手に毒ガス噴霧器と武装し恐々と探索してみたが他のGは居ない。だが私はそれでも怖い。今見えないだけで、机に置いた湯のみの陰にGが居るかもしれない。積み上げた資料にGが挟まっているかもしれない。照明を落としたらGが冷蔵庫の裏から這い出てくるかもしれない。いやそもそも照明を落とそうと手を伸ばしたスイッチにGが居るかもしれない。今見えない所はどこも信じられない。怖い。怖い。見えない所でGがいそうにないのは女の子のおっぱいが築く谷間だけだ。そこで眠る事が叶わぬなら私は連休中も会社に行くしかないんだ。誰か助けて、助けておっぱい!

宇宙 怪獣 人間。

科学や学識が極限まで積み高まり海で酩酊できるほど環境汚染が進みつも戦いは止まぬ、終末まっしぐらな星でこの究極の合成生物は開発された。この子は怪獣と呼ばれるに相応しくただひたすらに総てを喰らい尽くすという究極の破壊である生と未来を確定づけられている。分厚くけぶる硝煙で閉ざされた敵国より放たれる新兵器開発を知らせる矢文が我々科学者の喉を掠め恐怖したか。或いは汚染速度を倍増させている敵国を滅ぼしその分の生を得ようというあがきか。それともはっきりと見える形で色をなし迫り来る種の終わりに臨み荒廃した精神が自滅の狂気を宿したか。違うのだ。それは総てと相容れぬ存在ではあるが作り出した我らにとって希望の存在なのだ。この星に生きる総てにとって終わりである子は生まれるや、産声を上げる事もせず手にする物を口にし、口にふれるものを飲み込み、やがて足につく物をかじりはじめるだろう。そして周り総てを喰い尽し喰らう物がなくなると自身の生を失い眠りにつくのだ。心地よい天上世界に浮かび揺られ、眠りながら我らの子は総ての母となり我らを生み育む。再び己が生を全うする為に。



かつて愚かなる父の望むとおりに本懐を遂げた大いなる獣が居た。その子はゆりかごのあった場所で約束の眠りについている。今や宇宙の守護者たる我ら光の巨人は、かつて幾度と無くその子が世界を喰らい、生み、また喰らうのを遠く観てきた。己の生と他者の破壊という完全なる璧を成すその一体はこの多次元方向に進行する故に無限である宇宙の中でも恐怖の存在だ。総てを己として己を喰らい、それ故に限られた無限という矛盾を孕み増殖し続ける姿に、我らと同じく本質的に無であり続ける世界の宙を漂い生きる有限なる者は、その侵食する無限とその内に秘められた永遠の死に恐れを覚えた。そしてその目覚めを妨げる為、正気に至る前に元始の姿へ返すべく破壊しようとするのだ。
我らはそれを止める。何故なら、破壊と併呑を確定づけられた獣に対して、我らも争いを止める事を確定付けられた存在であるからだ。まみえる事の適う無限という唯一の存在、永続する恐怖の過程でその対として生まれ続ける我ら。袂を分かたれた有限なる者は、己の生を全うすべく星々の合間を飛び生き、そして得た結論として己の生を全うすべく子を破壊せしめんとする。我らは己が生の為にそれを止める。キョウダイの永続する生を守るため、キョウダイを殺し続け、キョウダイは生まれ、増え続ける。
キョウダイが愚行か、或いは妄想をやめない限り、永遠に。

日曜洋画劇場を観た。

会社に引かれているケーブルテレビに毒されてか元々熱心な視聴者では無かった地上波放送受信が生活範囲から外れ、一億総白痴な某しあわせの箱がゲームモニターと化して幾星霜。本日は休日と言い張るその名を日曜という労働日に対する自己の習慣性に嫌気が差し、この短い時間と人生を満たしたいがこれ以上労力を使いたくねー、しかし今日という休日の気分は味わいたいぜーという如何にも惰民的欲求がダメな方向へと労力を消費させ、思考を加速させ点けられましたわ日曜洋画劇場。正に日曜の象徴であるこの番組を観じヘロヘロと呆け明日への活力としようか、などというこちらの期待で始まった映画がシークレット・ウィンドウであった。内容はサスペンス調のホラーのようで、話のモチーフが比較的在り来たりそうな上に主人公のリアクションに付けられた吹き替え特有の妙に音の立ったクリアな効果音が意味を強調しすぎていて、その意味を考えてしまうだけでギミックというかパンチラインが読めてしまうという不手際がありつつも、まあそこが気安さというか、何も考えずに見れる良さではあるかーなどと偉そうにふんぞり返り、対外的な必要性に成り立つ見識から離れ平々凡々を味わいまどろみ始め、30分。放送枠に入って初めてのCMに突入しスポンサーの紹介テロップが流れ始めた。背景に放送中の映画秘密窓の1シーンを流しながら。民放ってこうなんだよなー、と、ぱっと明文化出来ない抽象的な感想を憶えながら、「ここからは〜」というナレーションに併せ背景に流れるカットシーンを眺めていた。登場人物が誰かに追われるシーンの様だ。あれ、その人があー。あれー。
真犯人が登場するシーンだった。いやぁさすが地上波、徹底して時間を無駄にしない、と膝を打ちつ痛みに泣く。



ちなみに先取りされたシーンが本編で流れたのは終了10分前。もしや地上波で普通に流すにしては結構ブラックな結末なので、本来より強調された効果音やCMで先に犯人をばらす事で視聴者側の感じる不条理さを緩和していたのだろーか。